婚活ノート。イー・マリッジ代表 山領有紀子のブログ

海外で暮らすことになった経緯 ~written by H. Yamaryo Vol.2

 

こんにちは、イー・マリッジの山領 均(やまりょう ひとし)です。

 

先週に続いて2回目のブログになります。よろしくお願いします。

 

 

イー・マリッジは、2016年からシンガポールに、お見合いサポートデスクを設置するなど、海外にお住まいの方の婚活支援に力を入れてきました。

 

お陰様で、今では、多くの海外駐在員、在住者の方にご利用いただくようになり、結婚相談所イー・マリッジの大きな特徴の一つとなっています。

 

 

ですので、今日は、その海外駐在・在住の方の婚活支援をする“基”となった、私たち夫婦が海外で暮らす経緯についてお話ししたいと思います。

 

しばらくお付き合いいただければ幸いです。

 

 

私は、今から30 年近く前、新卒で、東京の市ヶ谷にある某印刷会社に就職しました。

 

印刷会社というのは、当時、非常にドメスティックな業態で、ある程度大手であっても、国内がメイン市場で、あくまでも海外はサブ的な位置付けでしかありませんでした。

 

元々、私自身も、海外とは真逆のドメステイックな人間で、バブルの頃には誰も彼もが、留学、卒業旅行と、アメリカ、ヨーロッパへと繰り出していた時にも、一切、そういうものとは縁のない学生生活を送っていました。

 

ですので、基本的には、ほぼ国内転勤すらない、ただただ都内・関東近郊だけで業務が完結する、その仕事は自分には合っていると思っていました。

 

ですが、入社して2年目ぐらいの時に、元インドネシア駐在員という方と仕事をする機会があり、恥ずかしながら、初めて「この会社でも海外で働く道があるんだ」ということを認識するようになりました。

 

その会社の組織は事業部制を取っていて、最初に配属されたら、定年まで同じ部署のまま、中には同じ得意先を持ち続けるという人も珍しくありませんでしたので、年に一度、会社に提出するキャリアプランシート的なものに、異動希望の欄もあったのですが、書いたところで「誰も叶うとは思っていない」というのが正直な空気感でした。

 

なので、そもそも期待などせず、最初は、若気の至りからくる、ちょっとした青年の主張的なつもりで、「将来はインドネシアで仕事をしてみたいです!」と書いたのが “ことの始まり” でした。

 

(インドネシアが、どのあたりにあるのかすら、よくわかっていないぐらいのレベルでしたが。)

 

そんなことを、かれこれ3年ぐらい続けていたある日、突然、部長から呼ばれて「インドネシア転勤の話があるんだけど、どうする?」と。

 

それが1998年末のことです。

 

 

前述しました通り、イー・マリッジは、海外駐在・在住の方の婚活をサポートさせていただいていますし、又、そういった方とのご縁を望む方もサポートさせていただいています。

 

もちろん「海外」というのは、お相手への希望条件の一つに過ぎません。

 

あくまでも、そのお相手自身を好きになって、結婚したいと思うことが大前提であるべきです。

 

ですが、そういった結婚生活を望んで、計画立てて、婚活に臨むことは、悪いことではないと思っています。

 

海外での結婚生活を経験することは間違いなく、夫婦の絆を強め、お互いの人生に彩りを与えてくれるはずです。

 

 

ですので「将来は海外で結婚生活を」と望まれているのであれば、今、海外に住んでいる人だけでなく、商社や、グローバルメーカーで海外の事業に関わっている人はもちろんのこと、私のようなイレギュラーなケースもありますので、広い視野を持って探してみることも大事だと思います。

 

 

 

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