婚活ノート。イー・マリッジ代表 山領有紀子のブログ

海外駐在生活 インドネシア編 ~written by H. Yamaryo Vol.3

 

こんにちは、イー・マリッジの山領 均(やまりょう ひとし)です。

 

今回で3回目のブログになります。

 

前回は、海外で暮らすことになった経緯について書きましたが、今回は、私たち夫婦が、初めての海外生活を送ることになるインドネシアについて書いてみたいと思います。

 

結婚相談所の婚活ブログの趣旨とは、少々離れてしまい申し訳ありませんが、お付き合い頂ければ幸いです。

 

 

初めてインドネシアのジャカルタ、スカルノハッタ国際空港に降り立ったのは、もう今から20年以上前の1999年の春のことです。

 

ジャカルタの空港は、入国審査は長く掛かり、大きな荷物を持っていると税関の検査も厳しく「別室送り」になることもあると事前に聞いていたので、とても怖々でした。

 

ですが、それはただの杞憂に終わり、どちらかというと「日本人は“ティダ アパ アパ”」(tidak apa-apa=いいよ、いいよ)という感じで、すんなり通過できたので、安心したと共に、そこで初めて直にインドネシア人の気質に触れたような気がして、なんだかやっていけそうな気持ちになったのを覚えています。(第一印象というのは大事だと思います)

 

家は、ジャカルタの中心部から車で30分ぐらい南にある、ポンドックインダという街でした。(Pondok Indah=直訳すると「美しいコテージ」)

 

仕事やショッピングに行くなら、ジャカルタの中心であるスディルマン通り近辺が便利ではあるのですが、当時はアジア経済危機の直後で、治安も今ほど良くない時代でしたし、どちらかというとジャカルタの中でも富裕層が多く住んでいると言われ、日本人学校にも近いポンドックインダは日本人駐在員に人気のエリアでした。

 

うちは、子供はいませんでしたが、初めての海外生活でしたし、いざという時に近くに日本人がいてくれた方がいいだろうという思いから、そこのアパートメントを選択しました。(因みに、シンガポールお見合いサポートデスクの河田はその同じアパートで知り合いました)

 

 

インドネシアの生活で、まず第一の関門になるのは言葉です。

 

世界中どこへ行っても、どこで暮らしても「そこそこ英語ができればなんとかなる」という考えは、少なくとも当時のインドネシアでは通用しませんでした。

 

私の会社のジャカルタオフィスでは、インドネシア語が共通言語になっていましたので(メーカーはそういうところが多かったと思います)、赴任前に数ヶ月間のインドネシア語研修がありましたし、帯同する家族も同様に受けることができました。

 

ですので、インドネシア生活で、まず最初にコミュニケーションを取らなければいけない、メイド、運転手とも、なんとか意思疎通できるレベルまでは夫婦ともなっていました。

 

インドネシア生活については、妻もこのブログの中でちょこちょこ書いていると思いますので、今回は、少し、男性側の目線でお話ししたいと思います。

 

海外赴任中の“待遇”は、その会社、その会社で、全く違います。

 

海外赴任手当等の給与の面もそうですが、住宅の予算、車の貸与の有無、危機管理に対してのサポート、医療費、携帯電話料金の補助等々に至るまで、会社によって違ってきます。

 

総じて日系企業であれば、国内勤務よりは、海外勤務のほうが待遇面で優遇されるのは間違いないとは思いますが、会社によって“格差”があるのは事実です。

 

実際には、駐在員本人は、それをそんなに感じることはないのですが(どこどこの会社は、うちの会社よりも名門のゴルフコースの法人会員になっているといったレベルのようなことはありますが)、駐在員奥さんたちの中では、結構その“格差”“ヒエラルキー”に悩まれる方もいらっしゃると聞いたりします。

 

日本に住んでいると“個人”が優先されるのが普通であって、“密な共同体”に属する必要性は、今の時代そうそう無いことです。

 

ですが国によって程度に違いはあれど、海外で暮らしてみると(特に駐在員とその家族の場合は)まだまだ“共同体の意識”が、残っていることもあると思います。

 

 

又、もう一つ、これも駐在員本人(男性側)の立場から話しておきますと。

 

海外駐在中は、日本で仕事をしていた時よりも、圧倒的に家にいないことが多くなります。

 

基本的に海外に赴任すると、職種、年齢に関わらず、職責の範囲が広がって、忙しくなります。

 

日本ではあまり社外の人と接触することがなかったような職種の人でも、海外ではポジションも上がり、その会社の代表の一人として、いろいろな人と会わなくてはいけなくなりますし、土日でも接待はありますし、他国からの出張者の対応もこなさなくてはいけなくなります。(元々営業系の人であれば、その頻度はより上がります)

 

ですので、海外赴任に帯同するのであれば、ある程度はその覚悟をして、自分一人でも、その暮らしを楽しむという気持ちで臨まれた方が、健康的に暮らせると思います。

 

20年前とは違い、今は、世界中のだいたいの国でYouTubeもNET FLIXも観れますし、LINEやSkype等で無料でビデオ通話も会話もできますので、そこまで孤独を感じることもないと思いますが、それでも「自分自身で海外生活を楽しむ!」という気持ちが大切だと思います。

 

インドネシアで暮らしている時には、バリ島には何回も訪れましたし、夫婦でゴルフも一生分ぐらい楽しみました。

 

日本で暮らしていたら絶対に有り得なかった、メイドさん、専用運転手さんがいる暮らしも経験しました。

 

言葉や、その当時ならではの生活の苦労はありましたが、それも今では良い思い出ですし、なんと言っても、夫婦の絆を強くしてくれた、一生の宝になった、2年半だったと思います。

 

 

 

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