婚活ノート。イー・マリッジ代表 山領有紀子のブログ

同じということ、違うということ ~written by H. Yamaryo Vol.16

 

結婚相手を探すということは「自分との共通点を探すこととイコール」という風に考えるなら、「同じような環境で育ってきた」というのは、結婚相手選びの大事なポイントなのだと思います。

 

とはいえ、兄弟姉妹か、せめて親戚でもない限り、全く同じ環境で育つということはありません。

 

現実には、「大体似ている」といったレベルが精一杯のところなのかと。

 

 

私は典型的なサラリーマン家庭で育ちました。

妻は公務員(裁判官)の家庭で育ちました。

 

私の父は、良くも悪くも、色々な意味で、猛烈な「昭和のサラリーマン」で、私が子供の頃、平日に父と夕食を一緒に食べた記憶は、ほとんどありません。(土日もゴルフで不在ということが多かったです)

 

ですが、妻の父は、朝、裁判所に行って、ほぼ夕方の決まった時間に帰ってくる。そして週1~2回は「宅調」で(自宅で判決を書く日)、基本は常に一緒に夕食を食べる家庭だったそうです。

 

「家族で一緒に夕食を食べること」が、「育った環境」の全てではないのはもちろんですが、それでも、その後の人間形成に影響を与える、結構大きな「環境の一つ」ではないかと考えたりもします。

 

 

他に、結婚相手を考える際に、よくイメージされる「育った環境」といえば、「教育環境」とか「経済環境」があります。

 

今は、半数以上の人が大学まで進学する時代なので、昔のように「大卒か?そうでないか?」といったざっくりとした違いではなく、「大学のレベル」という詳細の部分で「同じ環境かどうか?」を判断する傾向にあります。

 

また経済環境については、むしろ格差が広がってきている昨今ですから、下手したら以前よりも、より敏感になっているような気もします。

 

ただし、そういった「環境」を、どこまで「同じような…」と捉えるかは、実は全く曖昧なものです。

 

あくまでも、それぞれの主観、価値観、受け取り方一つで、決まってくるものなんだと思います。

 

 

でも考えてみれば、伊豆の踊子も、野菊の墓も、椿姫も、プリティーウーマンも、花より男子も、そういった格差に近いぐらいの「環境の違い」の中での恋愛の話ですので、むしろそっちの方が、人間の深層心理的には「憧れ」を抱くものなのかもしれません。

 

なので…

 

一概に「同じような環境で育ってきた人と…」といった希望を持っていて、実際に、同じような親、同じようなレベルの出身校、同じような経済環境の人と出会えたとしても、本当は、ただの気休め、思い込み、自分を納得させるためだけのものに過ぎないのかもしれません。

 

 

私の父と、妻の父は同年代で、民間か、公的かの違いはあれど勤め人であるのは変わりありませんでした。ですが、性格的には「学生時代から知り合いだったら友達になれていただろうか?」と感じるぐらいは、「別物」であるような気もしました。

 

そんな「別物」の親から生まれ、「家族で一緒にご飯を食べる・食べない」の違いがある育ち方をしていても、特に、違和感を、違和感と感じることもなく、なんとか四半世紀以上、夫婦をやってこれてきたのも事実です。

 

「同じような環境で育った人」を、結婚相手の条件の一つとすることは否定しませんが、それに依存することは、本質を見誤ってしまうのではとも思います。

 

30歳、40歳ぐらいまでに結婚するとしたら、その先の「結婚後の環境」の方が人生の中では長くなるのが必然です。

 

同じような環境で育つことよりも、「同じような環境でこれから生きていくこと」

 

どちらかというと、「これから」に、目をむけていくことの方が、良い相手に出会う可能性が高まるような気もします。

 

 

こんな時代だからこそ「同じ」ではなく「違う」ことも大事ではないかと思います。

 

 

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