溺愛〇〇
最近、「溺愛〇〇」みたいな言葉が流行っています。(最近じゃない!笑)
一応、言葉の起源を探してみたのですが、なかなか、これ、というものが出てこなかったのですが、まあ、たぶん読んで字のごとくの意味なのかと。(やる気無いのか!笑)
とはいえ、この婚活業界でも、“それ”を期待されている方は、少なからずいらっしゃるのかと思います。
例えば、「溺愛婚」とか…。
でも、まあ、それは、そういうもので、一般的に、結婚するなら「お相手から溺愛されて結婚したい!」と思うのは、ある意味自然なことだとは思います。
*「お相手を溺愛して結婚したい!」ということもあるかと。
ただ、ベテランの、小煩い?、百戦錬磨??の、お見合いおばさんとして申し上げさせていただきますと…
結婚するときは、だいたい、ほぼすべて、「そういうもの」です。
特に、結婚が、絶対的な価値観を持たなくなった今の時代、「溺愛されない」「溺愛しない」、そんな結婚は、そもそも、する意味があません。
「そうでない」ぐらいなら、ずっと、一人で生きていたほうが楽しいです。幸せです。
でも、そういうことを言うと…
「ちょっと、小煩い、おばさん。そういう言い方は、ちょっとズルいよ!」と、クレームを受けるかもしれませんので(笑)
なので、もう少し、やさしく、真面目に、力強く、言いますと…
大丈夫です。安心してください。
「溺愛されて」「溺愛して」と、今、そういった希望や不安を持つのは、単に、今、「結婚して無いから」です。
断言しておきます。
普通の恋愛だろうが、お見合い結婚だろうが、結婚する時は、誰一人もれなく、「溺愛されるもの」「溺愛するもの」です。
でなければ、一つ屋根の下で、一緒に暮らすことなんてできません。
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