婚活ノート。イー・マリッジ代表 山領有紀子のブログ

A joyful evening may follow a sorrowful morning. ~written by H. Yamaryo Vol.6

 

こんにちは、イー・マリッジの山領 均(やまりょう ひとし)です。

 

前回は、“愛知県(三河)のコト”についてお話しましたが、今回は、その後、暮らすことになるシンガポールの生活について書きたいと思います。

 

お付き合いいただければ幸いです。

 

 

シンガポールの話をする前に、余談になりますが、「転職」について、私個人の感想を言いますと、「本当に転職して良かった!」と、その時も、今も思っています。

 

それは、やりたかった仕事ができるようになったこと、待遇面が良くなったこともそうですが、一番大きかったのは “新たな価値観”を得られたことです。

 

転職は、今は、ごく普通のことですが、それでも、まだ日本固有の終身雇用制という文化も根強く残っています。

 

もちろん、それは良い面も沢山ありますし、一つの会社で定年まで勤め上げるという、日本人の美学的なものともマッチしているのだとも思います。

 

ですが問題なのは、

 

学校を卒業して直ぐ、まだ何も分かっていないピヨピヨの状態で会社に入ると、その入った会社が「社会そのもの」「世の中の全て」「絶対的価値観」だと、良くも悪くも思ってしまうことがあると思います。(私もある意味そうでした)

 

ですが、そこから、一度外に出てみると、それがいかに限定的な“ローカルルール”だったかを知ることになります。

 

生きていると「知らなかった方が良かった」ということもあるとは思いますが、もしそれが今より素晴らしいものを見出せる可能性があるものなら、「知ってから」死んだ方がいいんじゃないかとも思います。

 

なんだか恐縮ですが…「結婚」も同じようなことが言える気がします。

 

 

前段部分が長くなり申し訳ございません。

 

転職して愛知県に移り住んでから6年後の2008年に、シンガポールへ赴任になります。

 

日本で仕事していた6年間は、東南アジア以外の地域への海外出張も多かったのですが、結局、今回も、前職で赴任したインドネシアと同じ東南アジアのシンガポールというところに多少の残念さがあったのも本当のところです。

 

ですが、当時のシンガポールは、F1グランプリの開催を翌年に控え、マリーナベイサンズや、チャンギ国際空港第3ターミナルの建設も始まっていたりと、世界の最先端国へ変わっていく過渡期でしたので、「経済が上り基調の国で働く喜びと期待」はありました。(バブル崩壊後の社会人デビューですので)

 

 

シンガポールに住んで、まず最初に驚くことは、物価の高さです。

 

芸能人の方がシンガポールを旅行するテレビ番組とかを観ていると、ホーカーと呼ばれるローカルのフードコートが出てきて、3~4シンガポールドル(250~340円)でチキンライスとかが食べているので、「安い!」と思われがちですが、実際に生活するとなると、そんなに甘くはありません。

 

まず家賃がとんでもなく高いです。

 

日本人駐在員が多く住んでいる、Rever valley Rd.沿いのコンドミニアムは、2ベッド、もしくは小さめの3ベッドルームで、当時日本円換算で50万円/月ぐらいというのが相場でした。

 

お隣のインドネシアも外国人駐在員が住むようなアパートメント(コンドミニアム)は、それなりに高いですが、それでも日本よりは遥かに広大なところに住めます。

 

 

また車も、とんでもなく高いです。

 

全てが輸入車なので本体価格が高いということもあるのですが、国土が狭いため車両台数制限をする意図もあって、馬鹿高い税金や登録料が必要になってきますので、カローラが1千万円ぐらいします。

 

これもインドネシアなら、駐在員に専用車、その家族に専用車、しかも運転手付きといった、“東南アジアならではの優雅な生活”が付いてくるのですが、シンガポールは同じ域内でありながら全く別物です。

 

駐在員に車が貸与されるかどうかはその会社によって違ってきますし、基本、駐在員家族は、電車、バス、タクシーを使って生活するのが一般的です。

 

 

でも、シンガポールは、とんでもなく安全です、綺麗です、美しいです。

 

“東南アジアならではの待遇”は無くなりますが、シンガポールは東南アジアでありながら、“東南アジアで無い特別感”がありました。(今はジャカルタも、タイのバンコクもその当時に比べれば、かなりいいですが。)

 

どこへ行っても安全です。

 

夜中に女性一人で歩いていても、日本よりは遥かに危険が少なかったと思います。

 

 

どこへ行っても綺麗です。

 

私の会社は自動車関係だったこともあり、駐在員に車が貸与されていましたので、最初は「車で」ということが多かったのですが、2年目ぐらいからは、妻と一緒にシンガポール内を、ほとんど「歩いて」回るようになりました。

 

1年も暮らすと、妻は知らぬまに、シンガポール内のありとあらゆるところを歩きつくし、行きつくし、ほぼローカル化していましたので、休日に「妻について歩くこと」で、それまで知らなかったシンガポールを自分も知ることができるようになりました。

 

 

シンガポールは本当に美しいです。

 

歴史を感じるヨーロッパの美しさとは違いますが、それでも、夜のClarke QuayやBoat Quay、マリーナ地区などは、広大なテーマパークのイルミネーションの中にいるようでした。

 

 

次回、もう少しシンガポールのことについて書きたいと思います。

 

お付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

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