おおらかさと、大雑把さと、多少の「ゆるさ」
2021年04月13日
おおらかさというか、大雑把さというか、多少の「ゆるさ」を持っていたほうが、結婚には向いているような気がします。
どれだけ、好きになって、愛し合って、「この人しかいない!」と確信を持ったとしても、結婚という共同生活を始めてみると“違和感”は、山ほど出くるものです。
その違和感は、事前に、お互いの「相性」「価値観」「笑いのツボ」等々…を徹底的に確認していても、完全には回避できません。
その理由は、単純明快で、結婚相手は、“他人”だということです。
出会うまで、それまで何十年もの間、全く別の人生を歩んできた、赤の“他人”の二人が、一つ屋根の下で、親よりも兄弟よりも強い結びつきで、一緒に暮らしていくわけですから、そこに何一つ“違和感”を感じないということのほうが難しいのだと思います。
ですが結婚というものは、その“違和感”を違和感でないもの、むしろ“気持ち良いもの”に変えていくことに、面白さであったり、喜びがあるような気もします。
「結婚は、我慢・忍耐・辛抱の連続」と言われることあります。
その言葉の響きからイメージする、まるで「おしん」のような、とんでもなく辛くて、苦しいというものではないにしても、多少の「痛み」のようなものは、違和感を気持ち良いものに変えるためには、必要なのだと思います。
ただ、なるべく、その痛みを、痛みと感じないくらいの、おおらかさ、大雑把さ、そしてその自分が信じた結婚を「あとは運命に委ねてみよう」といった、そんな「ゆるさ」を持つことも大事なことなのだと思います。