婚活ノート。イー・マリッジ代表 山領有紀子のブログ

21年前のジャカルタ

 

私は、今から21年前の2000年に、初めての海外生活を経験することになる、インドネシアのジャカルタに向かいました。

 

日本から約7時間半のフライト。

 

昼前に成田空港を出発するJAL725便に乗って、現地時間の夕方4時過ぎにジャカルタのスカルノハッタ国際空港に到着。

 

どこが列なのか、いまいちよく分からない長い長いイミグレーションに並び、何かを「見せろ!」と言われるんじゃないかと怯えながら、なんとか税関を抜けると、暫くぶりに会った夫の笑顔に、ほっとして。

 

でも、安心したのも束の間、夫が、夫の車の運転手さんを紹介してくれるので、意を決して「スラマット ソレ(こんにちは)」と、事前学習してきたインドネシア語で挨拶してみるも…

 

きっと、「どうぞ宜しく」的なことを返してくれているのでは?…と推測はするものの、何を言っているのか全くわからず。

 

「インドネシア生活大丈夫か?」と、いきなりの不安を抱きつつも、気を取り直して、いざ新居へ

 

スカルノハッタ空港から、東に伸びる高速道路に乗って、ジャカルタの中心部へ、そこからスディルマン通りを南下して、これから暮らすことになるポンドックインダへ。

 

車窓から見るジャカルタの街並みは、想像していた以上に大都会で、日本では見たこともない立派な高層ビルや、ゴージャスなホテル、前衛的なオフィスビルが立ち並んでいて、否が応にも、「あ〜、外国の街なんだと」と実感させられるものがありました。

 

ですが…

 

車が交差点で止まる度に、お金を恵んで貰おうと、子供や、老人や、赤ちゃんを抱いた女性が窓をコツコツと叩いてきたり、車の前に立ちはだかってギターを演奏する人がいたり、頼んでもいないのにフロントガラスを拭いてきたり…

 

日本よりも遥かに煌びやかに見える部分もありながらも、それでいて、日本ではまず見ることのない“とことん貧しい部分が同居している”というのが、その当時のジャカルタでした。

 

あれから21年。

 

2010年ごろに、シンガポールからジャカルタに遊びに行った時には、既にそういった人たちはほとんどいなくなっていましたし、今では、当時に比べ、ゴルフの料金や、メイドさんの給料も10倍近く上がっているそうです。

 

この20年間で、あの頃のような、日本人駐在員や、その家族が享受させてもらっていた、東南アジアで暮らす“ベネフィット”は、大幅に低下してしまったんだと思います。(シンガポールにいたっては、言わずもがなです。)

 

でも、それは、国の発展の姿としては、”あたりまえのこと” なんだと思います。

 

かつて住んだ国、住んだ街が豊かになっていくことは嬉しい限りです。

 

 

日本もガンバレ!