婚活ノート。イー・マリッジ代表 山領有紀子のブログ

イー・マリッジのこと(その1)

 

今日は、いつものブログのテイストから、ちょっと離れて…

“イー・マリッジのこと”を あらためてお話しさせていただければと思います。

 

まず初めにイー・マリッジの歴史についてですが(そう言うと、なんだか大仰ですが…笑)

今から21年前の1999年に、私の前の代表の瀬戸山憲子の大手結婚相談所時代の先輩が渋谷で立ち上げたそうです。

(ややこしくてスミマセン!ちょっと説明しますと、私がイー・マリッジの3代目の代表で、その前の2代目の代表が私の師匠の瀬戸山で、その前に初代イー・マリッジ代表がいたということです)

 

ですが、初代の方は、数年で体調を崩されてしまったので、その後は、瀬戸山が15年近く代表を務めることになりました。

 

場所も、渋谷から瀬戸山の母校の明治大学がある御茶ノ水に移し、正式名称は「イー・マリッジお茶の水」として運営しておりました。

 

ですので、いまだに各相談所の仲人さんたちが、自所の会員様のプロフィールを持ち寄って集まる「お見合いを組むための会」(正式にはプロフィール交換会と言います)に参加した時などには、昔馴染みの仲人さんから「イー・マリッジ“お茶の水”の山領さん」と呼ばれたりします。

 

イー・マリッジ立ち上げの頃の婚活業界は、今のようにネットワーク化された「連盟」というものは確立されていなくて、いくつかの独立した大手結婚相談所と、いわゆる個人の“お見合いおばさん”が、自分の相談所の会員様のお見合い写真と釣書を持ち歩いて、自所内、もしくはプロフィール交換会などでお相手を見つけ「お見合い」をしていく、といったスタイルでした。

 

そんな古い時代ではあったのですが…

今ほど“結婚相談所”の数が多くはなくて、ある意味、“婚活業界が集約されていた時代”でもあったので、それはそれで、効率的なマッチングができていたようです。

 

なので、瀬戸山世代の仲人さんたちは、婚活カウンセラーの草分け的存在ともいえる人たちで(師匠なので、持ち上げて置きます…笑)、瀬戸山も、今の連盟創成期の頃には、連盟に呼ばれ、新たに相談所を立ち上げる人向けに講師を務めることが多かったそうです。

(伝統と継承を重んじる“THEお見合いおばさん”ですので、皆さん、ちょっと怖かったのでは?と思ったりします…笑)

 

次回は、『イー・マリッジのこと(その2)』、その瀬戸山との出会いから、今に至るまでを書いてみたいと思います。