【婚活ノート。番外編】人生を変えたドラフト会議
明日はプロ野球のドラフト会議です。
今年は、我が横浜DeNAベイスターズはクライマックス1stステージで惜しくも敗退してしまいましたので、当然日本シリーズを残している訳でもありません。(残念…)
なので…ある意味、全神経を集中して、全力で、ドラフトを応援(?)できます。
(その後の、ドラフト緊急生特番!お母さんありがとうfrom TBSまで)
ドラフトといって強く印象に残っているのは、大ちゃんフィーバーで湧いた1982年の早稲田実業の荒木大輔(もう結構昔ですが…)。
その後は、1985年のPL学園のKKコンビ、桑田真澄と清原和博。
我がベイスターズ(大洋)はドラフトであまり華々しい思い出はないのですが、今振り返ってみると、1989年の野茂フィーバーの時の外れ1位の(あまりいい言葉ではありませんが…)東北福祉大の佐々木主浩。
2009年には、今年からMLBシアトルマリナーズの花巻東高校の菊池雄星に5球団が集中している横で、さらっと?1位指名した横浜高校の筒香嘉智。
そう考えると、ドラフトの時は、そんなに大注目されていなくても、その後プロ野球を代表する選手になる人が沢山います。
ですので、どんな結果になろうとも、明日のドラフト会義で、ベイスターズと縁があった選手、その人が「運命の人」になるはずなので、全力で応援します。(ワクワクドキドキです)
そしてもう一つドラフトの思い出と言えば、1998年の横浜高校 松坂大輔。
その年のシーズンは、横浜ベイスターズは38年ぶりの悲願の日本一を果たしていて、ベイスターズ人気が最高潮に達していた時でもあり、地元横浜高校の松坂大輔も、一部報道によれば、横浜ベイスターズを希望していると言われ、相思相愛の状態。
ドラフト当日も朝から夫婦の会話は松坂大輔 “一色”。
今日は仕事にならないと覚悟(?)して、家を出たのを、昨日のことのように覚えています。
その日の午後、突然、夫から電話が掛かってきました。
おっ!っ?ベイスターズが松坂を引き当てたのか?
(当時ドラフト会議はお昼にやっていましたし、ネットも無かったので…)
電話の向こうで、一瞬息を飲む感じが伝わると、おもむろに意外な言葉が…
(夫)「・・・・・・・になった」
(私)「え?なに、よく聞こえない」
(夫)「・・・・に転勤になった」
(私)「えっ!て、転勤!?」
PHSの電波状態が良くなかったのか、肝心な部分が聞こえない。
(私)「えっ?えっ?どこ?」
(夫)「イ・ン・ド・ネ・シ・ア」
(私)「インドネシア…???」
まさに青天のへきれきでした。全く予想もしていませんでした...
松坂大輔は吹っ飛びました。ドラフト会議で指名されたのは「夫」でした。
ドラフトは選手の運命を左右するものです。
その日、まさに私達夫婦の運命も左右される日となりました。
あの予想もしていなかった、インドネシア転勤があったから、その後の人生も大きく変わって(大して具体的なビジョンを持っていた訳ではありませんが…)そのおかげで、良いことも、そうでもないことも、沢山経験することができて、そして今があるのだと、そう思っています。
途中から話が逸れましたが…明日のドラフト会議楽しみです。