インドの生活
3年間のシンガポール生活が終わった後、夫はそのまま日本に帰ることはなく、インド赴任になりました。
インドの生活については、女性交流会の「神楽坂女子倶楽部」に寄稿した、アクセサリー作りの視点から書いたコラムを掲載します。ちょっと長いですが、興味があれば読んでみてください。
【-第1回- インドへ】
2011年1月、それまで3年間住んでいたシンガポールから、インドのデリーへ移ることになりました。
この後は日本に戻るのだろうと何となく考えていたのですが、そのままインドへ転勤。まさに青天の霹靂。夫は出張で何度か行っていましたが、私が持っていたインドのイメージは、カレー・暑い・ターバンといった程度の全くの無知。
シンガポールから飛行機で5時間、アジア圏とはいえ、日本からは10時間とけっこう遠い。
かつてインドネシアのジャカルタにも住んでいたので、アジアは得意!と自負していたのですが、インドはちょっと勝手が違いそう…
夫はシンガポールから直接インドへ、私は一旦、日本に帰国して準備を整え、それからインドへ向かうことになりました。
いよいよ出発当日、成田11:30発のJAL749にチェックインしましたが、機体故障で遅延。
結局4時間遅れの出発。
なんだか暗雲が立ち込めてきた感じ。
飛行機の中はビジネスマンが多く、観光客らしき人は少数。やっぱりプーケットやバリのような観光地へ行くのとは違う雰囲気。今日は朝早かったし、空港で待たされたし、ご飯を食べたらすぐ寝よう!
10時間もあるし、と思い機内食を食べ終え、ウトウトしていると、CAさんに隣の人が頻繁に水割りか何かを注文している様子。
気にせず寝ようとするものの、ふと目を開けると、視界に足。「足」??
酔っぱらった隣のおじさん(私もおばさんですが…)が靴下を脱いで前の壁に足を投げ出しています。
せ、せめて靴下ぐらい履いてください!と心の中で懇願するも、祈りは通じず。
寝るしかないと、必死に目をつぶり、その後7時間を耐え忍びました。
そんなこんなでデリー空港に到着。
チェックが厳しいと聞いていた入国審査も、悪名高き税関も何とかパス。
ゲートの外に出ると、まるで外国スターか、日本代表の凱旋帰国を待っているような
“人人人”。
んっ?寒い。ふと気づくと、なんだか寒い。
インドにも冬があるとは聞いていたけど、こんなに寒いとは…
熱波で人が倒れるというインド。そんなイメージとは全然違ってインドの冬は寒い。
人ごみをかき分け、シンガポールで別れた時のTシャツ短パン姿とはうって変わって、ユニクロのダウンジャケットにユニクロの暖パン、オールユニクロの夫と1か月ぶりの再会。
でも笑顔がなんだかぎこちない?
私と久しぶりに会って照れているのか?いや違う。やつれている?
1ヶ月見ぬ間に5歳ぐらい年とった感じ??
大丈夫なんだろうか?これからのインド生活…
【-第2回- “キラキラ”に国境はない】
簡単にデリーについて説明しておきますと、インドの首都で地図ではインドの真ん中よりかなり北の方に位置します。
緯度は日本の奄美大島と同じぐらいですが、砂漠性気候のため、夏は50℃近く、冬の朝晩は0℃近くになります。ちなみに日本との時差は-3.5時間という変則時差。
空港から新居に到着。
おおっ立派なマンション!シンガポールと遜色無いぐらい、と嬉しいビックリ。
ところが室内に入ってみると、こ、これって台風でも来たの?それともまだ建設中?と失望のビックリ。
夫に聞くと、インドのマンションは一切掃除をしないで借主に渡すそう。
それにしても、まるで工事現場。
床は砂だらけの足跡だらけ、取り付けようとしていたのか、
取り外そうとしていたのか良く分からない、壊れた蛍光灯が散乱状態。
よくまあこんなところで1ヵ月も暮らしていたなあと、可哀そうでもあり、可笑しくもあり。
普通は事前にメイドや業者に掃除してもらうそうですが、夫はいきなり入居、即仕事で忙しかったためそんな時間もなく、200㎡以上ある無駄に広いマンションの一室の、ベッドの上だけで生活していたとのこと。
夫がやつれていた(?)理由がよく分かりました。
私が、翌日からただひたすら掃除に時間を費やしたことは言うまでもありません。
インドの生活に慣れてくると、駐在員の奥様達との交流も増えてきます。
今までとちょっと違うのは、インドは、まだ発展中だからか、ヒンズー教の影響なのか、我々駐在員妻のような“にわかマダム”が遊びに出歩けるようなところが他の国と比べて少ないのです。
そうなると必然的に、だれかの家でお茶して、おしゃべりしようという
機会が増えます。
私は、初めての海外生活のインドネシアに行く直前まで仕事をしていたので、そこで初めて「専業主婦」になりました。
その時、いろいろな趣味や知識を持っている先輩駐在員奥様方と接し
「私このままではダメだわ、もっと主婦としていろんなことを学ばなければ~」と心に誓い、日本に帰ってからは、趣味・教養人(?)となるべく励みました。
お花・アロマ・彫金・アクセサリー制作・インテリアコーディネイト等々。
その後はシンガポールでもインドでもこのようなレッスンを開催できるまでになったのですが、特にインドで好評だったのがアクセサリーレッスンです。
私の周りは、アクセサリー作りをしたことがないという方が多く、初心者の方にも簡単にできる手法に絞って教えていたこともあって、好評を頂きました。
ある時、知り合った韓国人奥様たちからレッスンを企画してと頼まれました。
上手く言葉が通じるかしら?等々ちょっと心配していたのですが、国が変わっても、
女子はやっぱりキラキラした美しいアクセサリーやジュエリーが大好き。
少しくらい言葉が通じなくても素敵な良いものを目の前にすれば、それだけですぐに盛り上がることができます。
そして皆さんの楽しそうな笑顔は私の喜びになりました。
もっともっと喜んでもらえるよう、デザインのストックに励んだり、
情報を集めよう。。。!
【-第3回- ローカルマーケット潜入開始】
お腹いっぱい、もう食べれない、苦しい~っ、でも、なんか違う、苦しいを通り越し、痛い!熱い!息できない!えっなにこれ?と、そこで夢から目が覚めました。
これが私の、いわゆる「インドの洗礼」の始まりです。
インドを訪れた旅行者、駐在員が1度は経験するという、インド特有の強烈な腹痛。
原因は水・菌・食べ物等と言われますが、一番の原因はインド料理のスパイスと油という説が有力です。
インドの料理(だいたいはカレーのようなもの)は大量のスパイスと油を使っています。スパイスは「クミン」「ターメリック」「コリアンダー」「ガラムマサラ」など代表的なものをはじめ、様々なものがブレンドされています。
それらは胃腸薬の成分として使われていたりもするのですが。。。カレーが美味しいからといって調子に乗って食べ過ぎると、普段あまりスパイスや油を多く摂っていない日本人の胃には逆に負担になり、体力が落ちて、さらにインドの慣れない環境や気候に疲れたところで、菌に感染し、腹痛になるようです。
私の場合は1週間で4kg体重が落ちました。
とても効果のあるダイエット(?)ですが、命がけなのでお勧めできません。
アクセサリーレッスンには多くの方が来て下さるようになり、皆さまにもっと喜んで欲しいと、少しでも良い材料、素敵な可愛い材料を提供できるように“現地調達”をするようになっていました。
初めの頃によく行っていたのが、南デリーにある「ヤシュワントプレイス」
ロシア人が毛皮を買いつけにくることから通称「ロシアンマーケット」と呼ばれる、周囲をたくさんの野犬がうろうろしている、薄暗いローカルマーケットです(中に入ると見た目ほど怪しくはありませんが…)
その中に、宝石系のジュエリーショップが数店と、天然石系のショップが4~5店あり、どのお店も淡水パールや天然石ビーズ、クラスター原石、ペンダントヘッドにできそうなカボションを扱っています。
天然石ビーズはインドが産地のアベンチュリン、インドに近いアフガニスタンが産地のラピスラズリが、豊富にありました。
アベンチュリンについて話を聞くと、アベンチュリンとは言わずお店の人は「ジェイド」と言います。
実際は「ジェイド」とは翡翠のことで、石英系の「アベンチュリン」とは全くの別物です。
ただ、インドではアベンチュリンのことを「インディアンジェイド」(インド翡翠)と呼ぶのが一般的で、こちらから「アベンチュリンだよね?」と聞き返すと、
「そう!アベンチュリン!アベンチュリンわかる?」という感じで、
特に本人たちは、だまそうと思っている意図は全く無いようです。
インドで「ジェイド」と言われても「やったー、翡翠がこんなに安い!」とは思わないようにしましょう。
天然か人工か、着色の有無等を確かめながら、「この石はどこから持って来てるの?」と聞くと、「from Jaipur」と答えます。
「ジャイプール」?
【-第4回- 材料屋さんはいずこに?】
覚悟はしていたのですが、インドでは牛肉や豚肉は売っていません。
ベジタリアンが多いので仕方がないのですが、非ベジタリアンも鶏と羊は食べても、牛と豚は食べません。
牛は神様(ヒンズー教)の乗り物で神聖。
豚は宗教的に不浄というよりは、豚自体があまり良いものじゃないと考えているというか、食べ物に見えない?らしく…(諸説あります)
でも私たちは日本人、ベジタリアンでもない。「生姜焼きが食べたい!」「肉野菜炒めが食べたい!」。人は食べられないとなると何としてでも食べたいという欲求に突き進みます。
そんなわけで大方の日本人駐在員は、3~4ヵ月に1度、タイのバンコクや、シンガポールへ食料の買い出しに行きます。
飛行機で片道4~5時間のダイナミックな買い物です。
食料の買い出しだけでなく、ついでに美容院、歯医者にも行ってきます。
そして苦労して持ち帰ってきた肉や食品を、冷凍庫にストックし、次の買い出しまで細々と食いつなぐのです。
私たち夫婦も先人の教えに従い、その行脚を何度か繰り返していたのですが、ある晩夫がポツリと言いました。
「この肉美味しくない。」
苦労して、はるばる買い出しに行き、大事に大事に食べているお肉が美味しくない?「何をこの人は、のたまっているのだ?」と一瞬耳を疑い、軽い殺意を覚えました。(嘘です)。
ですが、確かに冷静に味わってみると、味が抜けているような、匂いがきついような…
持ち帰る時に多少解凍されてしまうからなのか、ちゃんと保管しているつもりでも、肉は1~2ヵ月が限度。
この時インドに来て1年弱、任期は残り2年。私たちは決意しました、これからは “にわかベジタリアンになろう!”
(インドで買える鶏肉は食べるという都合のよい…)
それからのインドの食生活についてはまたお話しします。
アクセサリーの材料調達は、前回お話ししたヤシュワントプレイスで
天然石ビーズを買うようになりましたが、金具やメタルパーツはそこでは売っていません。シンガポールから買ってきたものを使っていました。
ある日、レッスンに来ていた方から、可愛いチャームをたくさん使ったアクセサリーを、プレゼント用に大量に作りたいと頼まれました。
多少は在庫もあったのですが、やはりヤシュワント以外でアクセサリー材料を買えるところを開拓しなければ…
うちで雇っていたメイドのバニさんに、パーツを扱っているお店を知らないか尋ねたところ、知り合いのメイドさん達に聞いて、問屋らしき店が集まっている
場所を探し出してきてくれました。
その店は「チャンドニーチョウク」というオールドデリー地区にあるとのこと。
地図とガイドブックで調べてみると、そこは混沌とした、「THEインド」
古い崩れかかった建物が立ち並び、電線が何重にも垂れ下がり、大勢の人々が密着し合って歩いている写真が載っています。
他の駐在員奥さん達に聞いても、誰も行ったことがない。
オールドデリーの方はちょっと・・治安が良くないし、あまり行かない方が良いわよと…
なんだか怖そう、でもレッスンのためにはどうしても行きたい。でも、ひとりではたぶんたどりつけない。どうしよう…
【-第5回- ディープなインドへ】
「バニさん、今度一緒にチャンドニーチョウクに行こうか?」
結局、知り合いでチャンドニーチョウクに行ったことがある人はゼロ。
あまり治安が良くないと噂される馴染みのない場所に誘うこともはばかられ、バニさんに頼むことにしました。
「いいですよ!いつ行きます?」二つ返事でOK、しかもお出かけと言うこともあってか何だか楽しそう。
インドの日本人駐在員は、ほぼ全員メイドを雇います。仕事の内容は、掃除・洗濯・食事・ベビーシッター。住み込みの場合もあれば、通いの場合もあります。
日本の感覚だと、「なんて贅沢」「良いご身分」等々思われることもあるのですが、メイドを雇うというのは、国内での経済格差が大きい東南アジアのいくつかの国やインドでは一つの確立された生活文化として根付いています。
日本人は、メイドというと、時代劇に出てくるような、絶対的な主従関係のように感じてしまいやすいのですが、実は一般の会社の雇用関係と同じです。
ちょっと面白いのは、バニさん自身もメイドを雇っていて、バニさんの家の掃除や洗濯は、そのメイドがしていました。
家から車で約1時間半、やっとチャンドニーチョウクの近くまでやってきました。
目的のお店に着いたのかと思ったら、ここから先は車は通れないとのこと。
ひとまず車を降りました。
「バニさんどうする?」「大丈夫、サイクルリキシャで行きましょう!」
サイクルリキシャとは自転車が引っ張ってくれる人力車のようなもので、インドでは未だ庶民の足として使われている乗り物。おおっ初体験!
リキシャのお兄さんは、ヒンディー語のみで英語を話せないので、バニさんに行先と料金の交渉をしてもらいます。
実は生活のあらゆる場面でメイドさんに英語⇔ヒンディー語の通訳をお願いすることが多いのです。
インドは英語が通じる国とよく言われます。
まさにその通りで、国別の英語を話す人の数は、アメリカに次いで世界第2位の1億3千万人。でもインドの人口は12億6千万人。
逆に言えば11億3千万もの人が英語を話さないのです。
チャンドニーチョウクは想像通りの「THEインド」でした。
とにかくやたらと人が多い。
クリスマスのディズニーランドか、大みそかの浅草寺か、という感じ。
その時は4月で、気温も40度を超える暑さ。
砂埃がすごい。何とも表現しがたい匂いもする。爆破テロでも起きたのか、と思うような崩れそうな建物。でも、良く見たらフツーにお店を営業している…
サイクルリキシャで15分ほど行くと、(良く言えば)竹下通りのような両脇にお店が並んでいる細い道に、ビーズ材料の店がずらっと並んでいる一角にさしかかりました。
金属のチェーンやアクセサリー金具、可愛いチャーム等も豊富。スワロフスキーのビーズも置いてあります。
これでわざわざシンガポールからパーツを買ってこなくても良い!
しかも価格も安い!
天然石もヤシュワントプレイスより、多くの石が扱われていました。
例えばインド原産のスタールビー。
スタールビーというのは内部にルチルという針状の結晶を含んでいる石で、上から光が当たった時に光の屈折具合によって、六条の線が現れるという宝石。
インド駐在者の間では帰国の記念に買って帰るという人も多い、人気の宝石です。
ちなみに一般のルビーやサファイアは内包物が少なく透明度の高いものが価値が高いとされていますが、スタールビーは絶妙なルチルの内包量と透明度の高さがバランスを保つときに得られる宝石で、奇跡の宝石とも言われています。
本当に来て良かった!
お店の人に、これはどこから?と聞くと、
「from Jaipur」
「ジャイプールにメインオフィスがある」
「ジャイプールで石をカットする」と言う。
ジャイプール? 前にも聞いた名前…
【-第6回- いざ!ジャイプールへ】
インドの有名な場所というと、どこをイメージしますか?
そもそもそんなに興味がないし、よく、わからないという方も多いかもしれません。
でも、きっとそんな人でも、一度は聞いたこと、写真で見たことがあると思う、タージマハール。
タージマハールはデリーから南東に200kmアグラという街にある有名な建物。
私は王様のお城かと思っていたのですが、実はお墓。
今から約350年前にインドを支配していたムガール帝国の王様が妻を亡くし、嘆き悲しんだ王様が、亡き妻のために、大量の大理石と宝石を世界中から集め、22年の歳月と天文学的なお金をかけて建てたのがタージマハール。
さらに王様はそれだけでは、納得できず、今度は自分の墓として黒大理石を使った、タージマハールと同じ建物を川を挟んだ向かい側に建て、橋で繋げようとします。
「父ちゃんもうええやん」とさすがに、これ以上やると国が潰れると焦った息子が、王様をタージマハールが見える、アグラ城に幽閉。
王様は最愛の妻を思って死んでいきます。
かなりやりすぎの感はありますが…
夫の妻に対する深い深い愛情の物語です。
近くで見るタージマハールもとても美しいのですが、そんな物語を知っていると、アグラ城から見るタージマハールは、なんだかもっとロマンチックに素敵に見えます。
デリーを中心として北インドを観光するときに、最近そのタージマハール(アグラ)とセットで人気なのが “ジャイプール“。
デリーから北西に270km、18世紀初めにこの地域を治めていた豪族(いわゆるマハラジャ)が作った、砂漠の中の城壁に囲まれた街。
長男の誕生を祝って街中をピンクに塗らせて以来、今もピンクの建物ばかりが並び、別名「ピンクシティ」と呼ばれています。
タージマハールにしてもジャイプールにしても、昔のインドの大金持ちがやることは豪快。
デリー・アグラ・ジャイプールの3都市はインド観光のゴールデントライアングルと呼ばれています。
ヤシュワントプレイス、チャンドニーチョウクのどちらのお店の人も言っていた、ジャイプール。
♪そこに行けばどんな夢も~♫、と思えるほど、その時の私には、ジャイプール=西遊記の“天竺”のような場所に思えていました。
決行日は夫の休みの日曜日、今回はさすがに夫についてきてもらうことにしました。
朝5時に出発。運転手さんも朝早いのですが、二つ返事でOK。
メイドさんも運転手さんもこちらのお願いを快く引き受けてくれるので、本当にありがたいです。
まだ暗い中を、ジャイプールへの1本道を走ります。夜が明けてくると見えてくるのは、デリーの街中とは違う、広大な田畑、それを過ぎると、街道沿いの街、道路を横切る牛の群れ、荷物を運ぶ象やラクダ、同じ道路をゆっくり走るトラクター。
そんな風景を何度も繰り返し、約5時間かかってやっと、砂漠の城壁の街、ジャイプールが見えてきました。
「うわっ!本当にピンク!」
【-第7回- 運命の出会い】
空がきれい。空気がきれい。
大気汚染のひどいデリーとは全然違う、久々に見る青空。その空の青さと、建物のピンクのコントラストが、鮮烈!なんだか可愛い。
確かにこのおとぎ話にでてきそうな街を見られるだけでも、来た価値はある。
ジャイプールもデリー同様とにかく人が多い(インドはどこに行っても人が多い)観光地ということもあり、西洋人の姿もかなり見かける。
表通りには、草木染や刺繍が施された布、陶器などのお土産物屋さんがずらり、天然石やアクセサリー・ジュエリーの店も多い。でも、どれも「お土産もの」という範疇の店ばかり。
目指している問屋さんのようなお店は見当たりません。
表通りにはないかもしれないと思い、ちょっと勇気を出して路地に入ってみる。
狭い路地は舗装されておらず、数十メートルごとに牛、歩いている人と
牛の間を、かなりのスピードでバイクが走っていきます。
しばらく、縦横に路地を歩いていると、突然、たくさんのGemstoneの表札を掲げた店が出現。
あった、問屋街!でも…どの店も開いていない、なぜ?
もしかして業者向けの問屋は日曜日は休み??5時間もかけてここまで来たのに…
失意の中とぼとぼと歩いていると、ここ人がいるよ!と夫の声。見ると
Gemstone とガラス戸にペンキで書いている1軒のお店の中に灯りがついています。
ドアを開けると、目に飛び込んできたのは、細長い店舗の壁に吊るされている、色とりどりの大量の天然石ビーズ、ショーケースにはたくさんの宝石の裸石。
「うわっ!すごい」夫と二人思わず声が漏れました。ショーケースの奥にはインド人の男性が立っています。
いきなり日本人の男女が入ってきたのでちょっと戸惑っている様子。
デリーに住んでいて、アクセサリー制作をしていること、デリーの店でジャイプールのことを聞き、訪ねてきたことを伝える。
その男性が言うには、今日は休みなんだけど、どうしても整理をしなければいけなかったので、店に出てきていたとのこと。
そうか、営業しているわけじゃないのかとがっくり。
すみませんと言って出て行こうとすると、
「どうぞ見ていって下さい!」
お店の男性は、ラケッシュさん。
この店はショウルームとして使っていて、カッティング・研磨工場を併設した本店がこの路地の奥にあるとのこと。
お言葉に甘えて早速見せてもらうことに。
デリーのお店より天然石の種類・サイズが圧倒的に多い!
インド原産のオニキスやアゲート等のメノウ系をはじめ、アマゾナイト、タンザナイト、ロードクロサイト、エンジェライト等々。
他にもさまざまな種類のものがいっぱい。
すごい!私は夢中で見ていました。
ふと気が付くと、夫とラケッシュさんがショーケースを挟んで何かを真剣に話している。
どうやら夫は、宝石の裸石について一つ一つ、何という名前なのか?
どれくらいの価格なのか?どこが産地なのか?等々をずっと聞いている。
ラケッシュさんも一つ一つ丁寧に説明し、時には紙に絵を描いて説明している。
「見ていたら、あまりにきれいで、いろいろ聞きたくなって」
夫は今まで、天然石や宝石なんかに全く興味が無かったのに… ひとしきり説明が終わったとき、ラケッシュさんが店の奥から、小さな箱をもってきて、蓋を開けるとそこには、透明な美しい桜色の石。
「これ何ですか?」
「これはローズクォーツです」えっ!
恥ずかしながらそれまで、ローズクォーツはあのビーズの乳白色のものを言うと思っていたので、びっくり。
「天然石のほとんどの部分は、ビーズや加工物になります。ほんの数%の透明な部分だけが、宝石、と呼ばれるものになるのです」
「確かにビーズのローズクォーツも美しい、だけど、ただの石なのです。
石自体に価値=希少性があるのは、内包物の少ない透明度が高いものだけなんです」
確かにラケッシュさんの言う通りです。
例えばローズクォーツやアメジストなどのクォーツ(水晶)という石は、この地球、私たちの足元にたくさんあります。
ただ、その中のわずか数%の内包物のない透明な美しい部分だけは、
希少性という価値がでてくるのです。
そうか、そもそも宝石とはそういうものなのか…
お店を出た時には、既に夕方になっていました。滞在時間4時間。
夫がうれしそうに一言。
「面白かった、はまった」
宝石が太古の昔のクレオパトラの時代からずっと人々を魅了してきたのはなぜか、その理由がなんだか分かったような気がしました。
【-第8回- 宝石修行】
往復10~12時間、朝5時に出発して帰り着くのは夜10~11時。
それからの私はインドを去る日まで、月に2回、ジャイプールへ宝石修行に通い続けました。
ラケッシュさんのお店は、カッティング・研磨工場を併設した本店が、ショウルームとして使っているお店の路地の奥にありました。
そこは、狭い門をくぐると、日本のお寺の境内を思わせるような、大きな空間が出現。
その周りを取り囲むように回廊状の建物が建っています。
ちょっと千と千尋の神隠しにでてきそうな感じ。
1階が加工場、それぞれ加工工程ごとに部屋が仕切られていて、仙人のような(?)職人さんたちが働いています。
2階は全て商品としての “石” が置かれています。
初めに入ったショウルームでも十分だったのに、こっちは何十倍もすごい!
このお店を経営しているのは、アミットさんという社長さん。
ラケッシュさんはそのお店のいわば大番頭さん。
社長のアミットさんもインド人らしからぬ人当たりの良さ。
カースト制度の残りなのか、インドの人は、地位が高くなればなるほど、ちょっと偉そうな?感じになり、話していると何かお説教されているのか??と思うこともよくあるのですが…
このアミットさんは本当にやさしい。
ラケッシュさん同様、こちらから質問することには何でも丁寧に説明してくれる。
毎回、少量しか買わないのに、お昼を挟んで3~4時間このお二人の“先生”の宝石講座を受けることができました。
内容は、宝石の種類ごとの特性、鑑別方法、ケア方法、まで多岐に渡りました。
本場インドの宝石のプロからの教えは、何ものにも代えがたい私の財産となりました。
途中のお昼ご飯は、アミットさんがサモサとラッシーを振舞ってくれて、大量の石がストックされている、倉庫のような部屋の地べたに車座になって食べます。
サモサとは、ジャガイモや豆やひき肉などを、小麦粉の皮で包み揚げたもの。
当然カレー味。ここのサモサは唐辛子の辛味も効いて絶品。
ラッシーとはいわゆるヨーグルトジュース。
爽やかな酸味と甘さがサモサに合います。
ラッシーの器は素焼きの陶器でできていて、一度使うと洗わずに壁にぶつけて割り、土に戻すという、エコのようであって、もったいないような…?
その時の私は、以前書いたように“にわかベジタリアン”になっていたので、現地の料理を何でも食べていました。
郷に入っては郷に従えとはまさによく言ったもので、何としてでも日本食を食べたい、という“煩悩”が無くなり、むしろ「インドにいられるのはあと1~2年だし、インドの食べ物を食べとかなきゃ損!」という思考に変わっていました。
今思い出してみても、インドは、インドネシアやシンガポールより生活では大変なことがたくさんありましたが、食べ物は一番美味しかった気がします。
【-第9回- アクセサリー作りができること】
インドの最後の1年間は、孤児院の子たちにも、アクセサリー制作を教えていました。
暮らしている子たちは、3歳くらいから、男の子は18歳まで、女の子は“結婚が決まるまで”この孤児院は、インド人牧師とそのブラジル人の奥様が運営しています。
子供たちは皆、毎日きちんと学校へ行き、女の子たちは年頃になると、牧師夫婦が調査し選んだ男性が候補になり、結婚していきます。
発展著しいインドとはいえ、まだまだ貧しい人たちも多く、学校にも行かせてもらえず、不条理な結婚を強いられる女性も大勢います。
この孤児院の子たちの笑顔をみていると、本当にみんな幸せになってもらいたいと思います。
私は12歳~18歳の女の子たちに週2回教えていました。
彼女たちは私のことを「アンティ」と呼びます。英語で、子供が年上の女性に親しみを込めて呼ぶときに使う言葉ですし、まったく何の問題もないのですが…
日本語に直訳してしまうと、アンティ=おばさん(…)
最初は、彼女たちも趣味程度と考えていたと思うのですが、やっていくうちにだんだん面白くなってきたのか、少しずつテクニックの必要なもの、デザイン性の高いものを作りたいとの欲がでてきたようでした。
3連のネックレスを作っていたとき、テグスと金具の間を隙間なく止めることが彼女たちにはどうしてもできず、(ちょっとしたコツが必要なのですが)
それを彼女たちの目の前で、やってあげた瞬間、彼女たちの表情が変わりました。
(おっ!この子たち私をちょっと尊敬した?)
次のレッスンから、私への呼び方が「Mrs.Yuki」に変わりました。
(よしよし良い子たち)
クリスマスに子供たちへプレゼントを贈ることにしました。
プレゼントは学校へ持っていける、プラスチックの水筒でごく安価なもの。
せめて少しでも「プレゼント」という感じになるようにと思い、半日かけてラッピングしました。
渡すと、みんなとても喜んでくれました。
外国人っぽく、包装紙は、ビリビリ破いて開けるんだろうなあ、と、ある意味期待していたのですが、その期待は裏切られました。
開けたあと、男の子も女の子も、もう一度丁寧に包装紙で包み直し、リボンまで掛け直して大事そうに抱えていました。
いい子たちだなー
なんだかちょっと泣けてきました。
みんな大人になったら、たぶん忘れちゃうだろうけど…
私は、今日のこと、インドのこと、いつまでも忘れないよ!
結婚相談所イー・マリッジ – 東京千代田区・九段下、千葉・柏 –
お問い合わせは下記へ。
各種SNSも覗いてみてくださいね。
※2017年4月に御茶ノ水から九段下へ移転しています。